
誰でも女性に対して嗜好というものがあるものですよね。
日常にいて、そこに登場する女性ばかりを眺めている分には、別に自分の嗜好なんて気がつかないかもしれない。
それは自分が受動的立場にいるからなのではないでしょうか。
もっと能動的な立場に立てば、自分の嗜好が判ってくるものですよ。
でも性の嗜好は、妄想の中ではいくらでも能動的であったはずではありませんか。
性って恐い。
それは機能の世界であり、妄想の世界だからです。妄想と機能がうまくタッグを組み私達はいつも性的快楽に浸る訳です。
もっと言えば、この快楽というものが曲者で、なんで人間だけが性的快楽に浸っているのでしょう。
人間はこのようにして、妄想によって性を無限大の快楽に変換してしまったのですね。
動物、虫とかにセックスによる快楽はないのでしょうか。
ないという人もいます。
でも私は、敢えて虫にだって、セックスのよる快楽はあると言いたいのです。
快楽があれば、頻繁に自慰にも浸ってしまうのでは・・・。
そうはならないのが虫たち。
結局、この快楽というものは、本能と直結しているものでおそらく自由がきかないものであるからなのです。
虫でセックスした後殺されるっていう虫もいる訳じゃありませんか。
だったら快楽があってもそこに快楽を実感出来るのかというものですよね。
虫たちにとっての快楽は命がけな快楽なのです。
しかし、私達は人間。快楽というものを自由に操っているのです。
しかし、それを邪魔する社会。
そういう枠を取っ払うことが出来るのもテレクラだったりするのではないでしょうか。
テレクラとはそういう遊びかもしれないですよね。
あなたの社会にはいつだってあなたに似た人たちばかりが集まってくるのです。
そういえば熟女が好きだった。
あなたは妄想の世界のことをふと思い出す訳です。
あなたはいつも熟女のこと考えてマスタベーションばかりしていた。
しかし、それはマスタベーションだけの世界だと思っていたのです。
そんなことありませんよね。
熟女の出会いだったらテレクラで現実化出来るのですから。